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【セルフカウンセリング】人生を紐解く・小学校低学年は、僕の中の「ボク」もしくは「ダレカ」を作り上げた時期でした

こんにちは、マイマイです。

 

「セルフカウンセリング」第二弾、小学校低学年編です。

 

◆前回のお話はこちら

 

gomagomaimai.hatenablog.com

 

今、考えるとですが、精神疾患的にも、発達障害的にも、「僕」の中の「ボク」もしくは「ダレカ」を作り上げた時期なんじゃないかなと思います。

以前、バイトの面接で病気のこと話したら、「今、誰でもそうだよ、普通だよー、だから大丈夫!」と言われたことがある。

現状、精神疾患抱えている人なんて山ほどいるんでしょうけど、それを普通と考えて、良しとしていること自体ヤバい状況だと思います。

そして、病気や症状の実態を知らない人も多すぎるのも問題かなぁ。

ただ、個々人で考えると非常に繊細な部分なので、扱うのは難しいのではないでしょうか。

なので、薬漬けの治療方法自体を変えなくてはダメですね。

イギリスでは、カウンセリングと少しの薬で治療していくようですね。

少しでもお話を聞いてくれるだけで嬉しいんですけどね。

自分が心理カウンセラー目指すのもアリかもですね!
実際多いですかね、そういう方々。

※自分自身へのカウンセリング、精神疾患発達障害の答え合わせみたいなところもありますので、人によって、嫌な想いされる部分もあるかと思います。そんな時は、遠慮せずに読むのやめて大丈夫ですからね。

前置き長くなっちゃいましたが、小学校低学年編はじまりはじまり~

 

*実は、前回(幼少期編)のお話の時も、小学校1年生の時ヤンキーに絡まれた話しちゃってたりしてます。

こはちょっと大目に見てくださいなw

 

 

 

 

そもそも

低学年編を書くにあたって、そもそも、どんな小学校低学年だったか、を客観的に思い出してみます。


みなさんは、幼稚園から小学校低学年の時期、どんなんだったか、何していたかって覚えています?


僕はもうほとんど覚えてないですね。なので、脳細胞を遠心分離機にかけるぐらい回転させます。

 

  • 泣き虫ー喜怒哀楽どんな感情でも高ぶると涙でます、今も
  • 人見知りー引っ越し前後で変わったような気がする
  • 調子に乗るーこれも引っ越し前後で変わりましたね、乗り方が
  • 引っ込み思案
  • 突発的に物事を発言するー今も
  • 顔色は伺うが、空気は読めない・・・など

ほとんど思い出せないので、次行きますw

 

 

双子の妹誕生

4歳になる直前、双子の妹が誕生しました。一番最初の感想は、嬉しかったと思います。
と同時に、戸惑っていた。一挙に二人の妹が出来たので、どうやって平等に接すればいいかを。


結局のところ、フィーリングが合っているように感じた、姉の方を中心に気にかけました。

妹の方にももちろん普通に接していたと思いますが、気にかけたのは、姉でした。

妹の方は、正直僕の行動の不快さを感じていたんじゃないかな。まだ聞いたことありませんが。本当に最悪なことしていたね。

あの時代に戻って、当時の僕と協力して、平等に接することを実践したいですわ。

恐らく、妹の方の完璧主義的な雰囲気が自分とそっくりで対抗心を抱いていたのかもしれません。
姉の方は、どっちかというとおおらかな性格だったので、僕が甘えていたのかもしれません。

となると、対抗心を燃やしていた僕と妹の方を見守る、姉の方という変な兄妹関係だったのかな、今思うと。

 

 

引っ越し前

一挙に2人妹ができたので家が狭くなったのと、ちょうどバブル期だったことが被り、小2の夏休みに引っ越すことになりました。
「引っ越す」こと自体は、なにかすごいことをやる感じがして、自慢げではありました。

心残りは、やはり好きな子でしたね。幼稚園の頃からずっと同じクラスのSちゃん、違う棟でしたが、同じ団地に住んでいて、よく遊んでました。
前回出てきた、ヤンキー御一行様に絡まれた時に一緒にいたのも、Sちゃんでした。

で、告白したのかというと、してません!!

単に恥ずかしかっただけでした。文通とかしたかったけど、親同士がそこまで仲良くなかったので、結局何もできず仕舞いです。

正直に白状します。

 

大人になってから、Facebookで探したことあります。

 


結果、見つかりませんでしたが。
気持ち悪い行動ですね。。。すいません。

ただ、みなさんも、昔の好きな人探したことあるはずです!!
ないですかね。。。

 

 

引っ越し後

同市内の端から端に引っ越しました。大きな市ということもあり、すぐに団地に遊びに行くことは叶わなかった。



今、思い出した。引っ越す直前、空手習おうと思っていたんだ。強くなりたかったのかな。

引っ越し後も習えば良かったのに、もうすでに興味は薄れていた。

こういう部分は今でもあるな。興味がすぐなくなるか、めっちゃ興味深々になって、頭から離れなくなるか、どっちかですね。

引っ越した家は、現在URという名の公団でした。斜面に建っている家だったので、2階が玄関でした。

とにかく、坂の多い街で、100段の階段なんていっぱいあった。山あり谷ありでしたね、色んな意味で。

 

 

転校してみて

ガラッと変わりました。自分の中の立ち位置?的なものが。

引っ越す前の団地では、コミュニティの中心的存在だったのが、太鼓持ちみたいになった。

人見知りも相まって、長い物には巻かれまくりで、誰の何も知らないコミュニティで自分を守るのに精一杯でした。

うーん。小物感でまくりですねw
まあ、もともと小物だったんだと思いますよ。それがたまたま、周りが大物だったから、自分生きてこれたのかもしれません。

転校生が珍しかったのか、他のクラスの子たちが見に来ては、反応うすく帰っていくのには、ビクビクしてましたね。なんか、こんなんですいません的な感じで。
注目の的にされるのは本当に嫌だった。けど、突発的に注目されちゃう行動もしちゃうのは確かでした。

当時、クラスで場末のスナックのママさんが話すような、喋り方が流行っていて、僕も真似しては、女子を追いかけまわしていたのは印象的でした。

 

 

初めての抜毛

3年生に上がって、初めてのクラス替え。誰と一緒になったとか、先生が誰かとかは全く思い出せないですね。

この頃から、無意識に抜毛しているのが分かりました。
最初は、右のもみあげだったと思います。
見つけたのは、父親で、その時は「やめなさい」と一言、言われただけでした。

無意識にやっちゃっていることなので、やめられるはずもなく、右もみあげだけじゃなく、左もみあげや眉毛も抜き始めてました。
僕はなんで抜くのか分からずにいたのですが、父親は理由も聞かず、怒鳴り散らし、殴ってきました。
母親はただ見守っているだけ。

僕は、「いけないこと」なんだという認識ができたので、周りの人たちがなるべくわからないような、まつ毛や鼻毛を中心に、抜いていたと思います。

隠そうという意識からなのか、食毛も始めてました。

今、HSP/HSSという新しい概念が出てきましたが、言っちゃえば、僕もそうなんでしょうね。僕はひとまとめに「敏感肌」って思ってますけどw

とりあえず、誰かに何かを説明する、順序立てて話すことや、言いたいことが道を外れて言えなくなっちゃうことが多かったので、人に相談するってことができない子でした。

また、僕の相談なんかのために、時間を割いたら悪いなと思ってましたし。
親に関しては、そもそも自分のこと信用してなかったので、なるべく自分のこと以外のことを顔色伺いながら、話していました。

ちなみに、
抜毛症
は今年で35年目です。

 

 


なんか、いい思い出もっと書きたいな!!


次回は、小学校4年生からのお話、小学校高学年編をお届けします!

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます!

 

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