僕の頭の中を最適化させる

頭の中のぐちゃぐちゃを最適化して目指せスッキリ

【セルフカウンセリング】幼少期は、自分を大きく見せて、調子に乗っていた時期でした

こんにちは、マイマイです。

 

そろそろ、記事もたまってきたし、サイトマップも兼ねて、ちゃんとしたプロフィール作ろうと思ったのですが、せっかくだから、誕生から現在までの人生を振り返ろうと思います。

 

生活している中で、人生を振り返る瞬間って、履歴書書くときか、あと、ある程度、年齢重ねた時に集まる親戚との会合ぐらいかな?
と、思ったけど、小6の時に自分の名前の由来とかの作文書いた時も振り返ったかw

とにもかくにも、記憶の細胞をフル回転させながら、書いてみます。

※自分自身へのカウンセリング、精神疾患の答え合わせみたいなところもありますので、人によって、嫌な想いされる部分もあるかと思います。そんな時は、遠慮せずに読むのやめて大丈夫ですからね。

それでは、マイマイの人生のはじまりはじまり~

 

*この記事はこちらを元に再編集・加筆してます。

 

 

誕生〜幼少期

生誕

赤ちゃん

昭和53年8月某日、母親の実家がある場所の病院で、長男として生まれる。
約3200グラム、だったかな、たぶん。

 

小2まで、団地みたいな集合住宅に住んでいたのですが、その時は、ガキ大将ほどケンカが強い訳ではなく、むしろ意気地はない方だったが、団地全体の同年代の集団の中心的存在だった。


その影響もあってか、常に気が大きくなっていた。

こんなことがあった。

 

ヤンキーに絡まれる

ヤンキー

団地の駐車場で、友達数人と遊んでいたとき、ヤンキーさん御一行様に絡まれた。

相手は中高生だったと思う。こっちは、小1だったけども。
ヤンキーさんたちも相当暇だったのでしょうかねwそれは置いておいて。

とにかく絡まれた。その時、友達を逃がして、ヤンキーさんたちの無理難題に対応したのは自分一人だった。

無我夢中だった・・・いや、好きな女の子がいたような気がするから、カッコイイとこ見せたかったのかな。

草花食べたり、蟻食べたり、手錠はめられたり等々、色んな要求を突き付けてきたが、全て答えていったと思う。


カッコイイとこ見せたいなら、対抗しろって?
僕もそう思います。


とにかく、その場を切り抜けることしか考えてなかったか、小1にして「M」に目覚めていたか、どっちかだと思われます。

その後、逃がした友達が「ドロボー!」と叫んで、大人を連れて来てくれました。

ヤンキーさんたちは、当然逃げ出して、女の子と僕は助かりました。


大人から事情聴取されたりと、団地ではちっちゃな騒ぎになったなあ。

その夜、僕は、「蟻って、甘いんだな」と思いながら、眠りにつきました。


次の日、学校でも事情聴取され、クラスでもちょっとしたヒーローになった。

また少し調子に乗っちゃうよね。

でも注目されることは嬉しいのだが、大々的にというか、言い方難しいのだが、オフィシャル的に注目されることは嫌だったと思う。

顔真っ赤になっちゃうし、どういう話し方をすればいいのか分からなくなっちゃうし。
オフィシャルじゃなく、パブリックに近いか。

つまり、自分発信の目立つ行為はある程度コントロールできるんだと思うが、不意に注目されちゃう時ってあるじゃないですか?


そういう時ってどうしていいのか分からなくなっちゃう、思考停止しているのに無理やり動かないといけないと思っちゃうのですよ。


それで上手くいかないから、落ち込むのさ。

このような状態は小さい頃からあったと思います。

上記のことがあって、調子に乗った状態は加速されました。
そして、こんなことが起きました。

 

ヘラクレスオオカブト

ヘラクレスオオカブト

当時、友達の間で、カブトムシ、特にヘラクレスオオカブトが流行っていた。

その時も団地の廊下で友達と集まって、図鑑を広げてヘラクレスオオカブトを始め、どの虫が一番カッコイイかみたいなこと話し合っていた。

僕は、目立ちたかったのか、自分がすごいというと思われたかったのか、有り得ない「ウソ」をついた。

ヘラクレスオオカブト今度買ってもらう」と。


その時、友達の反応はすごいものだったと思う。
僕は気を良くした。

「ウソ」をついた、と書いたが、当時の僕は「ウソ」をついたと実は思っていなかったのだ。

普通に、明日漫画買ってもらう、的なノリで言っていた。
その夜、父親にそのことを話したら、普通に断られたと思う。

 

そこで初めて、「どうしよう」という感情が産まれた。

後日、となりのとなりに住んでいた、アニキ的な存在の兄ちゃんに間に入ってもらった。

僕のヘラクレスオオカブト購入は何かの理由で買えないと、誤魔化してもらうことで、その場を収めることとなった。

友達の反応というと、「そうなんだ」って、普通のテンションの感じだったので、「あれ?」とは思った。

 

たぶん、僕はこのような大きく出ちゃうお話をよくしていたのかも知れない。

友達は特に何も言わなかったのが救いだったけども。

となると、前述の兄ちゃんも、友達も、対応が大人というか、人のことを考えてくれる優しい人たちだったと今、気づかされました。

涙出てくる。


みんな幸せに過ごしているんだろうか。ふとそんなこと感じました。
その後、妹ができた僕は小2の夏休みで引っ越したので、それ以来会ってないんですよね。

この時期は、上記のような状態(ソウ状態?発達障害?)が多かったんですが、これらとは別に、一種の乖離みたいなところもありました。

 

gomagomaimai.hatenablog.com

 

最後までお読みいただきありがとうございます!

 

次回は、引越し後の「小学低学年」編をお届けします。

 

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